KENZO|高田賢三死去 華やかな生活.パートナーは男性.自己破産も?

 

【パリ共同】フランスメディアによると、「KENZO(ケンゾー)」ブランドで世界のファッション界を先導した服飾デザイナーの高田賢三さんが2020年10月4日、新型コロナウイルス感染のため、パリ郊外の病院で死去したとフランスのメディアで速報となりました。享年81歳でした。

高田さんの日本の事務所によりますと、高田さんは今年の9月中旬、新型コロナウイルスに感染し、パリ近郊の病院に入院していましたが、今月に入って体調が悪化し、4日午後4時ごろ(日本時間4日午後11時ごろ)亡くなったということです。

サムネイルはTwitterより引用

※各報道記事を纏めてます。

 

高田賢三のプロフィール

高田賢三プロフィール

名前・・・高田 賢三(たかだ けんぞう)
誕生日・・・ 1939年2月27日
年齢・・・81
歳没 ヌイイ=シュル=セーヌ(2020年10月5日現在)
出身地・・・兵庫県姫路市
学歴・・・神戸市外国語大学2部英米学科中退・文化服装学院デザイン科師範科卒業
会社・・・KENZO創業者
職業・・・フランスのファッションデザイナー・KENZO創業者
活動期間・・・1970年〜2020年9月

 

実家の姫路市では『浪花楼』という待合(芸子さんと飲食をする待合所)を経営していたそうなので、幼少期から、芸を目にして、綺麗な着物に囲まれて育ったそう。

文化服装学院在学中に「装苑賞」受賞。1965年渡仏し、70年にパリにブティック「ジャングル・ジャップ」を開いて最初のコレクションを発表。文化服装学院では同期生に世界的に活躍するデザイナー、コシノジュンコさんなどがいて「花の九期生」と呼ばれました。
その中の1着が雑誌「ELLE」の表紙を飾り、日本の生地を使った服などで一躍注目を集めました。華やかな色彩、大胆な柄の組み合わせ、民族衣装からの着想、重ね着などを想像力豊かに展開しました。当時ブティックで行うのが常識だったファッションショーをパブや映画館で開催し、一躍脚光を浴びました。

高田さんはフランスの芸術文化勲章を受章したほか、平成11年には紫綬褒章を受章しています。

また、平成16年に開催されたアテネオリンピックの日本選手団の公式服装もデザインしました。

 

 Twitterより引用
世界中から悲しみの声が

 

 

パリ市長がツイッターで追悼 仏メディアは速報

高田さんが亡くなったことについて、パリ市のイダルゴ市長はツイッターに「彼はファッションにおいて色と光に居場所を与えました。パリはきょう、私たちの息子の死を悼んでいる。ケンゾウの家族や近しい人たち、そして彼を愛したすべての人たちに思いを寄せている」と投稿し、その功績をたたえました。

 

またフランスの主要メディアは一斉に速報で伝えました。

このうち週刊誌「ルポワン」の電子版は、高田さんが1か月半以上かけて船でフランスに渡ったものの、すぐには成功を得られず、初めはスケッチを売ることで生計を立てたことなど、フランスに来てからの経歴を詳しく紹介したうえで、「国境を越えてインスピレーションを得て、ファッション界において類を見ないすばらしい遺産を残した」と伝えました。

またフランスの公共ラジオ「フランスアンフォ」の電子版は、高田さんのデザインについて「日本的な美しさや清らかさに、少し刺激的な色使いを取り入れつつ、東洋と西洋を柔軟に融合させた」と評価しています。

 

Twitterより引用
フランスでの報道

 

高田氏は、1970年に自身のブランド「ケンゾー(KENZO)」を設立。
日本の着物をはじめ、カラフルな色使いや花柄、和洋折衷など独自のテイストで注目を浴び、長年にわたってパリにてコレクションを発表し続けてきました。

Twitterより引用
1978年の高田さん

1999年に引退。2011年には、NYのセレクトショップ「オープニングセレモニー(OPENING CEREMONY)」の創立者であるウンベルト・レオンさんとキャロル・リムさんがクリエイティブ・ディレクターに就任し、2020年春夏メンズコレクションまで務めました。
現在は、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタさんがクリエイティブ・ディレクターを務め、9月30日に2021年春夏コレクションを発表したばかりでした。
KENZO HPより引用
2021年春夏コレクション

Twitterより引用
最新コレクション

高田賢三売却した大豪邸

パレロワイヤルの大豪邸で有名だった高田さんの自宅は1200平米を超えていたそうです。和を取り入れた素敵な大豪邸を2009年、売却しました。美術品など1000点以上オークションに出品し、パリ市内のアパルトマンへ引っ越されたそう。

 

 

 

VOGHEより引用
さすが、ファッション界のトップだった高田さんのご自宅は華やかですね。素敵です!!!

 

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パートナーは男性、独身を貫いた

伯爵の称号をルイ14世から頂いた、貴族のグザビエ・ドゥ・カステラさんとおつき合いされていたそうです。1980年代では同性愛はまだ少なかった頃でしたね。

 

Twitterより引用
パートナーとの1枚

 

カステラさんとは良きビジネスパートナーでもあり、お互いに『KENZO』の株を所有していたそうです。

 

残念な事に1990年カステラさんはお亡くなりになったそうです。その後は新しい男性とおつき合いしていたという情報はありませんでしたが、結婚という選択肢は高田さんにはなかったようで、パリ市内のアパルトマンでひとりで一生を過ごしました。

 

自己破産をしていた

高田さんが『KENZO』を手放し、自己破産した理由はこうあげられています。ファッション界の最前線で脚光を浴び、華やかな生活を送っていた高田さんに何が起きたのでしょうか?

 

高田賢三自己破産の原因

  • 共同経営者であったフランソワ・ボーフュメさんとの確執
  • 1990年にビジネスパートナーのグザビエ・ドゥ・カステラさんが死去
  • 1991年に『KENZO』のパタンナーの近藤淳子さんが死去

 

1993年高田さんは『モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン』に経営難のため売却せざるを得なかったそうです。自宅も売却しましたね。

『モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン』はルイ・ヴィトン、モエ・ヘネシーを主にフェンディー、セリーヌ、ディオール、ロエベなどを傘下に抱える巨大ファッションブランドです。

 

自己破産しましたが、2003年には最前線へ復帰そして一生をフランスのパリで生活できたのですから羨ましいですね。

 

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みんなの声は?

Twitterより引用
ブランドの愛用者

 

Twitterより引用
素敵ですね

 

ご冥福をお祈り致します。

 

まとめ

  • 高田賢三さんが2020年10月4日、新型コロナウイルス感染のため、パリ郊外の病院で死去した
  • 1990年最愛のパートナーを亡くしていた
  • 経営不振で自己破産していた

 

最後までお読みいただきありがとうございました。毎日投稿していますので、暇つぶしにお立ち寄りください。

Maddie

 

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